英語の詩、詞の場合、

約束事として、韻を踏むというのがあり、

おそらく、押韻のために語句を選ぶということがあるだろうと思う。

似た意味の単語をもってきて言い換えるとか、

むりやりあまり使わない言い回しで表現してみたりとかがあり、

またそれがなんとも詩的な感じとなったりするんだろう。

単語のひとつひとつの意味を忠実に追っていくより、

韻を踏むがための言い換えがあることを考慮、想像しなければならない。

さらに、そもそも、詩というものは、取説なんかとは違って、

表面的な意味を伝えるためではなく、

奥に存在するイメージなり気分なり、表面的な言葉で表現できないものを、

言葉の組み合わせや音の響きや見た目のイメージなどでいくつかの意味を同時に、

意図的にあるいは意図せずに無意識に表現し、

鑑賞者の五感、あるいは六感に働きかけるというものだろう、ということもあり、

英単語、文章を日本語に、いわゆる「直訳」することは、

野暮でもあり、また不親切、もっといえば怠慢ということにならないか。

などとえらそうなことを書いてしまったが、

そういうことなら自分でやってみろということで、

自分でやってみた次第で、さらに人目にさらしてみた次第。

というか、ディランの詞を訳すのをライフワークにしてみようと思う。

というか、前から思っていたのだが、それがぜんぜん進まず、

この「Just Like A Woman」にしても一ヶ月以上かかっている。

ようやくなんとか納得できるふうになったかなというところである。

前にやった「Dont Think Twice」もやり直さなくてはならないと思っている。

ディランの詞について思うのは、

普遍的であるということ。

時代、国、人、どんな場面にもあてはまるというか、

とくに今の今、すごく感じる。

ディランの詞が難解だという先入観で、

詞をないがしろにするのは、あまりにももったいないと思うので、

ぼちぼち、やっていこうと思っている。って、ぼちぼちかよ。